Black Lives Matterが問いかけたもの—日本警察も変われるか
“完璧な人間などいない。だから組織が完璧であることはあり得ない。”
— Kouhei Takagi(高木耕平)
ブラック・ライヴズ・マター
https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラック・ライヴズ・マター
ブラック・ライヴズ・マターとは、アメリカの警官による暴力と、それに対する社会の怒りから生まれた運動だ。特定の人種に対する差別意識が、無意識のうちに警察の行動に表れていたのかもしれない。
日本警察について考えると、現在の日本社会はさまざまな人種・宗教の人たちが集まってきている。昔の日本社会では、同じ文化や背景を持つ人同士の問題が多かったが、いまは違う。多様な背景を持つ人々が暮らす社会のなかで、警察の対応も複雑化している。警察の現場の人間の心労はピークに達しているかもしれない。
冒頭の言葉にあるように、完璧な人間など存在しない。だからこそ、どんな組織も必ずどこかに改善の余地がある。重要なのは、誤りを「隠すこと」ではなく「認め、正すこと」である。
私自身も、日本警察によって不当な扱いを受けた経験がある。そのため、同様の被害が他の人々にも及んでいるのではないかという疑念が拭えない。
警察も人間である以上、誤りを犯すことはある。しかし、誤りを繰り返し、その是正を怠れば、やがて組織全体に対する信頼は失われる。
ミスをすることは恥ではないが、ミスを繰り返すことは社会の信頼を失いかねない。
警察という制度を否定するつもりはない。ただ、時代が変わりつつある今、警察という組織もまた変わるべきときに来ているのではないか。
差別や偏見を減らし、多様な人々を公平に守るための新しいフレームワークが必要なのだろう。
私たちが求めるべきは、「完璧な組織」ではなく、「誤りを認め、修正できる組織」である。
その姿勢こそが、未来の警察に必要な最低条件なのではないだろうか。
追記(2025年8月3日)
また、現在の日本において重要な論点の一つとして、外国人被疑者に対する精神鑑定のあり方がある。
日本語という言語文化、医療制度、そして価値観の中で行われる精神鑑定が、本当にその人の「内面」を正しく理解できているのかは疑問である。
少なくとも、母国の医療機関や第三国の中立的専門家に判断を委ねる必要があるのではないか。
そうでなければ、「誤解」が「判決」として確定するリスクが存在し続ける。